近年、無差別に無抵抗な人を襲う残忍な事件が起きる頻度が高くなっていると思う。
つい最近も交番で警察官が刺されたり、バスを待つ子供たちに切りつけたり・・・・
本当にこんなことはもう起きて欲しくないと思う。
これらの事件を起こした当人にとってはそれなりの理由があるのだろうけど
やぎ的には、これは間違った自己表現のひとつなんだろうと思うのだ。
人は生きていく中で、いろんなシーンで無意識に自己表現を行える生き物だ。
表現をするのはアーティストだけでは無い。
普通に僕たちもいろんなシーンで自分を表現している。
人に提案したり
人に賛同を求めたり
時には人に怒ったり・・・・
これらは全て無意識に発している自己表現だ。だとすると
「残忍な事件を起こす」という行動そのものが自己表現だと言えるじゃないかい?
ただ、表現の方法が間違っているか、屈折しているのか
ということになるだろう。
本来は、子供ものころから地域の子供たちとの交流、そして学校生活での交流といった
人との付き合いの中でいろんなことを経験し学んでくるものなのだけど
ここ近年は人との付き合いを面倒だからと避ける人達も多いと感じている。
そんな人達は、インターネットやSNSの中で自己表現をしているのではないかな?
現実社会に馴染めず、地域社会に打ち解けられず、孤独を味わい
その反動をSNSに自分を見て欲しいと求める。
人間は「承認欲求」の塊りなんだ。
人に話しかけるのが苦手な人でも、承認欲求は人以上に持っているのだろう。
社会に自分を承認して欲しい衝動に駆られた結果
間違った自己表現に走ってしまうのだと、やぎは思うのだ。
インターネットはただのツールなのであって
承認欲求を満たす目的の場所となってはいけないのだと
近年の残忍な事件から、学んでおかなければいけないのではないかな?
大事なことは
人と直接会って、笑って、泣いて、怒って、感情を表現することだろう。
by黒やぎ